そらのきみへ
あれから、9年もの歳月が過ぎた。
こんこん、と誰かが部屋のドアを叩く音が、紫がかった青い髪の毛に隠された耳に届く。
「はい」
と、昔の面影はあまり感じられない調子の声で言うと、彼女は羊皮紙に落としていた目をドアの方に遣った。
さっと素早い動作でドアを開けたのは、窮屈そうな鎧を身につけ、腰に剣を携えたリンドブルムの騎士の一人。申し訳ないが名前は思い出せなかった。
その騎士は失礼します、と堅苦しくそう言うと、これまた堅苦しい敬礼をした。
半ば苦笑しながら少女は黄色と桃色のワンピースを揺らして、腰掛けていたベッドの天蓋から垂れた白いカーテンヴェールを退けて立ち上がる。
「アレクサンドリア女王様よりお手紙が届いております」
「わあ、ありがとう」
彼女は微笑むと騎士から白い封筒を受け取る。
裏を見れば赤い蝋にアレクサンドリアの刻印が刻まれており、右下に綺麗な字で『ダガーより』と書かれていた。
思わずくすりと笑う。彼女の憧れでもある隣国の女王は、未だに手紙を送ってくるとき仲間内で名乗っていた名前を使う。
あれから9年経った今でも。
『みんなだけが知ってる、小さな秘密のようね』
以前女王はそう言った。その隣には、少女と、彼女の大好きだった金髪の少年、それからねずみ族の竜騎士と血色が悪くガタイのいい男、いつもは騒がしい鎧に身を包んだ男とク族の青年。
そして、少女の腕の中で揺れる、使い古された茶色い帽子。
彼らが目を向けるは、お世辞にも立派とはいえないお粗末な十字架。
それには精一杯綺麗に刻もうと奮闘した跡がある小さな文字の羅列。
帽子の持ち主が眠る場所。
何かが鼻にこみ上げてくるようなツンとした痛みを隠すように、彼女は無理やり頬を引き上げて言った。
『すてきね!そうおもうでしょ!』
最後の問いかけは無意識に空に向けて。皆もつられて蒼い空を仰ぐ。
しばらくの沈黙の後、少年が彼女の頭を撫で、尻尾を揺らしながら皆に、
『帰ろう』
と言った。
誰も返事をしなかった。けれども皆のろのろと歩き出した。
彼女は帽子を抱きしめて、最後まで動かなかったが、女王と少年は少し離れた場所で見守るように彼女を見ていただけで、何も言わなかった。
しばらくして、森が静かに唄いだした。唄う森の声の中に何かを見出そうと、彼女は食い入るように木々を見つめる。
答えを求めて、少しでも気になるものが垣間見えれば必死でそれを追った。
そうしている内に森は唄うのを止めて、今度は眠り始めた。
何も見出せるわけが無かった。帽子の持ち主の声など、聞こえるはずが無かった。
何故なら彼は眠っているからだ。何も求めてはいけないのだ。
彼女はあまりにもあっさりと終わってしまった唄に、呆然と辺りを見回す。
しかし二度と唄が聞こえることは無かった。どれだけ彼女が待ったとしても。
堪らず抱いていた帽子を十字架にかけて、ずっと待っていてた女王と少年の前を逃げるように駆け出した。
―――――秘密を隠して。
村の広場まで一気に駆けてきたために荒い息をつく彼女に、誰も話しかけようとしなかった。彼女もそうして欲しかった。
まもなく女王と少年が広場に着き、一行は無言で歩き出した。
それから飛空挺に乗ってアレクサンドリアに帰るまで、誰一人として口を開く者は居なかった。
何を思っていたのか、幼かった彼女にはわからなかった。
ただただ抱いた帽子の感触を―――――唇に残るざらざらとした帽子の感触を、忘れないように、忘れないようにと努めるのに必死だった。
あれから9年もの歳月が過ぎた。
彼女が昔の仲間と会うことは殆ど無い。最後に皆で会ったのは2年ほど前だったか。
王女も、王となった少年も、国の事で忙しく、他の者は離れ離れだった者達と再会し、故郷の復興をしたり気ままな旅をしたり、元の自由な暮らしを過ごしたりしている。
彼女も今となっては一国の王女。彼女自身にもやらねばならないことは沢山ある。
もう無理なのだ。彼女一人の我侭で、みんながしょうがないと笑いながらついてきてくれるなんていう事は。
それがどれだけ恥ずかしく、迷惑をかける行為と知ってしまったのなら尚更。
「どうされましたか?」
手紙を受け取ってから黙ってしまった彼女が、ふと寂しげな笑みを浮かべたのを見て騎士が問う。
はっと我に返ってなんでもないわと取り繕うと騎士を下げさせた。
相変わらずの堅苦しい敬礼をしてからドアの向こうに消える騎士を見送ると、一つため息をついて再びベッドに腰をかける。
大分伸びてしまった髪の毛をかきあげて、後で読もうと手紙を傍に置いて、代わりに先程の羊皮紙を手に取る。
『黒魔導師の村について』
羊皮紙の一番上にそう題が書かれている。
彼が眠る村。
この資料が議会に挙がったとき、彼女の義父は議会を抜け出して彼女の部屋のドアを叩いた。
資料を読んで困惑する彼女に、彼は優しい目で言った。
この事はお前に任せる、と。
正直彼女はそんなことを言われても、といいかけた。
ちょっとした議題への意見や提案を求められたことは度々あったが、一つの議題を任せられるなんてことは初めてだった。
色々と考えながら思わず唇に手を当てる。そうするとあの帽子の感触が蘇るかのように。
しかし実際は、もうそんなものとうの昔に忘れてしまっていた。
帽子の持ちぬしの声も、顔も、仕草も。あんなに大事に記憶に刻み付けていたのに。
生あるものの時は止まらないのだと、彼女は思い知らされた。
今この瞬間誰かが命を落とそうとも、時は流れ続ける。遺された者も、関係の無い者も、同じように流され続ける。
所詮人の記憶など脆く儚いもの。永遠など何処にも無い。
時の止まったものは忘れられるしかないのだ。
(…………だめ……)
はあとため息をついて額に手を当てる。
虚ろ気に視線だけを羊皮紙に向ける。
それによると、最近村の黒魔導師達が少なくなっているということ。
それは当然だろう。当時の彼女でもわかっていたことだ。
戦争の兵器として使われるために生み出され、何らかのきっかけで自我を持ってしまった彼らには一貫して『リミッター』がある。
それは大体一年ほど。その時が訪れると止まってしまうのだ。なぜか長生きをするものも居るが。
9年前までこの大陸を覆っていた霧を基にして作られた彼らの、新しい仲間が生まれることは無い。
わかっていた事、だった。
はあと再びため息をつく。前よりも大分大きく、女性らしくなった手で顔を覆う。
「だめだわ……また彼らを作り出すなんて」
羊皮紙の続きにはこうあった。
村では彼らなりの文化があった。それを失くす事は惜しい。これからのためにも、彼らの仲間を作り出すべきだ。
幸い地中深くの坑道などには未だにが残っているらしい。それを使えば作り出すことができる。
どうするのか、決めてくれと書かれていた。
酷く恐ろしいことのように聞こえるが、彼女にとっては。だからこそ、義父も決断を彼女に任せたのだろう。
どさりと背中からベッドに堕ちる。
村には、ジェノムという黒魔導師たちに似た種族も暮らしているため、村自体の文化が絶えることは無いだろう。
しかし黒魔導師達が誰一人居なくなってしまえば、あの帽子は。帽子の持ち主が居た証拠は、名残は、語り継がれるその名は。
『黒魔導師』という形とともに消えて、いつかは忘れられた逸話となってしまうのではないか。
そう思うと怖くて仕方が無かった。
「でもね……」
しかし彼女は誰かに相談することは無かった。憧れの王女にも、少年だった王にも。
揺れる帽子は教えてくれたのだ。
自分で意味を見つけなければならないということを。
笑っていた。最期に、笑っていた。
この世界に生を受けて幸せだったと、皆に会えてよかったと笑って、最後に静かに眠りに付いた。
自分の居た証を残して、ありがとうと笑って。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、何もいえなかった彼女を遺して。
「………………」
むくりと体を起こす。
しわくちゃになったスカートのしわを軽く伸ばして立ち上がると、羊皮紙と手紙を部屋の中央に設えられた明るい青の布がかかったテーブルに置いた。
戸棚からペンと紙を何枚か取り出すと、椅子を寄せて何かを書き出した。
最初の紙には議題についての自分の決定と、それに基づく理由を、我ながら拙いなあと苦笑しながら思い思いに書いていく。
出来上がった文章を見てみると、やはり拙さが目立って顔をしかめた。
それを綺麗に折り、一緒に出してあった封筒に入れ蝋で封をし、テーブルの端においておく。
二枚目の紙には、思いを綴った。
最初はごめんね、ありがとう、などと言った言葉で始まって、はなからまとまった文章で書く気など無く、とにかく思ったこと全てを綴っていった。
ごめんね、本当にごめんね。ありがとう、本当にありがとう。
あなたと出会えて本当に良かった。大好きだった。
彼に相手にされなくて沈んでいたときも、あなたはいつも傍にいてくれた。大好きだった。
色々我侭言ってごめんね。我侭に付き合ってくれてありがとう。
苦しいこともつらいことも私よりも沢山あったのに、なんであなたはそんなに強いのか、今でも分からないよ。
きっと泣き出したかったのに、なんでそんなに強かったの。きっとあなたは強くないって言うよね。
でも私にとってはすごくまぶしくてすごくきらきらしてて、本当に強く見えたんだよ。
今でも私は意味を見つけられない。あなたのように上手くできない。
どうしてかな。あなたが隣に居ればって考えちゃうの。
ほんとはね、ほんとはね、ずっと一緒に居たかった。
なんでいっちゃうのよ、ばか。
いかないでほしかった。空なんて遠いところになんて、どんなにすてきな飛空挺ができてもいけないわ。
ごめんね、ごめんね、大好きだったの。
最後まで我侭でごめんね。ひどい私でごめんね。
忘れないって誓ったのに、いっぱいいっぱい忘れちゃったものがあるの。
あなたの声も顔も仕草も、もう忘れちゃったの。
ひどくてごめんね、ごめんね。
だから私の記憶は、忘れちゃったものは、全部あなたに返します。
ごめんね、本当にごめんね。
最期に、あなたに言いたかったの。
ありがとう、ありがとう。
そこまで書いて、紙の端が濡れていることに気がつく。
驚いて頬を触るが、涙の跡は無い。
視界がにじんでいるということさえも、ない。
彼女は大事に、丸く広がりふにゃふにゃになったそこを撫でる。
もう泣けなくなってしまった自分の代わりに、心が泣いているのだろう。
そんなことを考えてから、紙を綺麗に折って封筒に入れる。
リンドブルムの刻印が入った封など要らなかった。これはそんなものじゃない。
明日になったら空に向けてこの手紙を出そう。
チョコボと一緒に空を散歩して、それから空に向かって投函しよう。
封筒をシャンデリアにすかすようにして見てから、丁寧にテーブルの端に置いた。
もう少しで、少女は16歳になる。
憧れていた女王が旅立った当時の年齢と、同じ。
きっともうあなたは見てくれていないのだろう。
誰だって9年もの歳月が経てば気は変わってしまう。それは空の人にも言えることだろう。
ただ信じて居たかった。絵空事だと分かっていても、まだ見守ってくれていると。
帽子の持ち主についての僅かな記憶を辿って、せめて残りの記憶は消えないようにと。
少女は王女からの手紙を開けた。
最後の紙はその返事のために。
手紙の内容がどうであれ、彼女は生涯最後の我侭を綴ろうと考えた。
迷惑がかかることなんて目に見えている。きっとその我侭をかなえるのは大変だろう、などと半ば他人事のように考えながら、
相変わらず文句のつけようが無い綺麗な字に目を落とす。
始まりはこうだ。
「エーコ・キャルオルへ」